
高2教養演習 俳句 ―私の夏― を掲載いたしました 高2教養演習 俳句 ―私の夏― を掲載いたしました
高2の学校設定科目「教養演習」で生徒が『夏』をテーマに俳句を作りました。1学期の授業の佳句を紹介します。
サイダーの光はじける午後六時
背泳ぎやゆらゆら動く我と雲
泳ぎゆく海の青さの果てしなき
向日葵や街全体が笑つてる
向日葵が子どものやうに笑つてる
縁日の金魚すくふや着崩れて
金魚鉢さかさに揺れる空のあを
金魚鉢ゆるる水面の軽さかな
高2の学校設定科目「教養演習」で生徒が『夏』をテーマに俳句を作りました。1学期の授業の佳句を紹介します。
サイダーの光はじける午後六時
背泳ぎやゆらゆら動く我と雲
泳ぎゆく海の青さの果てしなき
向日葵や街全体が笑つてる
向日葵が子どものやうに笑つてる
縁日の金魚すくふや着崩れて
金魚鉢さかさに揺れる空のあを
金魚鉢ゆるる水面の軽さかな
タイ・スタディツアー(上智大学主催)にこの春も高等科生が参加しました。このプログラムは、バンコクと周辺地域をフィールドに、大学や仏教寺院などの見学、日系企業との交流やスラム地域支援団体を訪問する経験と、自ら定めたテーマに基づくフィールドワークから構成されており、上智大学がカトリック高等学校連携協定校の生徒を対象に実施しています。参加した生徒が以下のコメントと写真を寄せてくれました。
今回のタイ・スタディツアーでは、日本全国から集った同世代の仲間たちとローカルなマーケットや有名な観光地まで様々な場所に赴き各々の興味のある分野を探究しました。また、思いがけず地震にあったことにより、災害の中でも明るく過ごすタイの人たちを見て、現地と日本の文化や対応などの違いを改めて違う視点から見ることができました。
5月17日、中高等科保護者全体会が開催されました。はじめに校長より今後の工事計画や、本年度から始まるTSUNAGARUプロジェクト、その一環として2026年度から始まる中3・ニュージーランド短期研修などの新しいプログラムが紹介されました。
烏田信二校長による挨拶と学校概況の説明
光塩女子学院後援会会長 狩野繁之様
続いて後援会総会、保護者講演会が行われました。講演は、高大連携協定を結ぶ上智大学から山内保憲(やまうちやすのり)神父様(上智学院カトリック・イエズス会センター・学事局 Sophia Future Design Platform推進室)をお迎えし、「世の光、地の塩―現代に求められるレジリエンスなカトリック教育―」と題して行われました。
人生の中で、ほとんどの人は心折れる体験に遭遇することがあります。大切な人との死別、失恋、自分やパートナーの病気…現代においては、老いもそのひとつです。山内神父様は、高齢の修道会会員の介護と看取りをされた長年のご経験をもとにお話しになりました。優れた学識があって著書を何冊も残した司祭も、車いす生活になり認知症が進む“老い”を避けることはできません。その姿は聖書の言葉「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。」(イザヤ書53.2-3)を彷彿とさせます。また、イエスご自身の生涯を聖書のこの言葉に重ねる時、「思い通りにならない」人生の中にいる人間は、実はイエスが歩んだ道に近づいていることに気づきます。レジリエンスに必要な、別の視点がここにあります。
人生で遭遇する心折れる体験は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というマタイ5章44節の中の「敵」ということができます。苦しみの中にいるときも、その苦しみが自らをイエスに近づけていることに気づく価値観があれば、希望を失わず生きていくことができるでしょう。 現代的な価値観から見れば絶望しかないような、自分の力ではどうしようもない困難に遭遇したとき、それを受け止め乗り越えるレジリエンスな力を養うことは、現代のカトリック教育の中に求められています。
山内神父様の言葉のひとつずつを通して、建学の理念と人生の意味のありようについて知る、大事な講演会となりました。
ユーモアを交え、軽妙な語り口で話される山内保憲神父様。
「学校にいる子供たちは今は聖書の言葉を聞き流しているかもしれません。しかし心のどこかにひっかかり、いつか聖書の言葉が子供達の命を支えるときが来ると思います。」
「建築」=”architecture”とはそもそも何でしょう?buildingではありません…光塩生のための「建築ガイダンス」はこんなお話から始まりました。この企画は、すいどーばた美術学院建築科の矢野裕之先生をお迎えし、建築学科を目指す生徒のため開かれたものです。5月13日、20人余りの希望者はラーニングコモンズに集まり、先生のお話に耳を傾けました。
最初の質問の答えは「一つの思想によって統合された空間(的)世界のこと」。例えば、東京カテドラルは、カトリックの大聖堂ではありますが、建築家丹下健三によって、日本人に馴染みのある空間のありようを探るようにして設計されたものなのだそうです。頭上を見上げれば十字架のトップライトから光が降りそそぎ、大聖堂の基本形に即して造られたことが分かります。しかしその空間の全体像は山を思わせるシルエットになっていて、一般の大聖堂とは大きく異なっています。古来、日本には、例えば浅間信仰に代表されるように、大きな山に向かって手を合わせるという祈りの姿がありました。そうした印象を与えようと、まるで富士山のような曲線のシルエットをもった祈りの空間となっているのです。
それでは、大学の建築学科は何を学ぶところでしょう。矢野先生は、建築学科のうち計画系・構造系・環境系それぞれの研究分野について、数十年先の未来を探り、時には地球規模の視点を持つものであることを、タワーマンションによる大規模開発が招く地域の変化や「宇宙船地球号」の概念を提唱した建築家・バックミンスター=フラーを例に分かりやすく話してくださいました。
工学系と芸術系の建築学科の違いの背景にある、科学知と生活知という異なった学問体系や、建築計画で必要となる“思想”、さらに大学の入試の実技試験に込められた狙いの説明に続いて、「ここにあるような本を読むのが大切なんですよ」とラーニング・コモンズの棚を指さされた先生の言葉に、はっとした生徒もいたようです。
矢野先生ご自身のお仕事や豊かなご経験を交えたお話に、生徒からは質問が止まらず、会の終了後も先生を囲んでメモを取りながらお話を伺っている姿が見られました。建築を目指す生徒にとって、貴重なガイダンスとなりました。
参加した生徒からは「今からできる、デザインする力や建築に関する知識を増やす方法はありますか?」「設計する上で、矢野先生が大切にされていることは何ですか?」と質問が相次ぎました。
矢野裕之先生。ローマのパンテオンから現代日本まで、さまざまな地域や時代の建築を例に、建築学の魅力を話してくださいました。
4月、ゼノさんと北原怜子さんが紡いでくれた光塩とポーランドとの間の絆が深められる、大切な機会がありました。(ゼノ修道士と北原怜子さんについては、2024年度の学校長あいさつをご覧ください)
4月24日は「ゼノさんの日」。戦後の混乱期に、孤児のため働いたポーランド人のゼノ修道士を記念するこの日、光塩では朗読劇とポーランド大使館による講演が行われました。
朗読劇に先立ち、アリの街実行委員会の石飛仁氏から、氏が晩年のゼノ修道士のため、かつての戦災孤児を探し再会を実現させたエピソードが語られました。
この日の朗読劇『風の使者 ゼノ』は石飛仁氏の同名の書が原作となっています。劇では、“アリの街”でゼノ修道士とともに働いた北原怜子さんが、貧しい人に寄り添うすべを模索し苦しんだこと、若き日のゼノ修道士の悩み、また、それぞれの救いが描かれました。劇中、光塩の聖歌隊も登場、美しい歌で劇を彩りました。
続く講演はパヴェウ・ミレフスキ大使がポーランド語の「こんにちは」(ジェン・ドブリ)を全校生に明るく教えてくださるやり取りから始まりました。大使は、ポーランドと日本との交流と人道主義に基づく協力の歴史や、大変な親日国であることを話されたあと、「ぜひ、万博のポーランド館を見学してください」と素敵なパビリオンを紹介されました。
大使に続く講演では、ポーランド人ジャーナリストのドロタ・ハワサ氏が、コルベ神父・ゼノ修道士の生涯と、現代に残るゼノ修道士の足跡について、流ちょうな日本語で話されました。ゼノ修道士の故郷はポーランドのクルピエ地方ですが、ここには現在、ゼノ修道士に由来する名前の学校が3校あるほか、銅像や資料館があり、ゼノ修道士の生涯と愛を人々に伝えているそうです。
貴重な講演のあと、生徒の代表は今日の機会を感謝して、次のように挨拶の言葉を締めくくりました。「ゼノ修道士たちの、混迷の時代にあっても誰かのために尽くす姿は、どんな時代にも変わらないやさしさと強さの形を示してくださったように思います。不安定な時代を生きる今だからこそ、互いを知り、信頼しあい、あたたかな関係を築く力を培っていきたいと思います。」
昨年の朗読劇・ポーランド大使館講演の記事はこちら
ゼノ修道士のエピソードを語る 石飛仁氏
師・コルベ神父に導びかれる若き日のゼノ修道士(朗読劇)
左から北原怜子さん、コルベ神父とゼノ修道士、光塩の聖歌隊(朗読劇)
メルセダリアンホールに到着したパヴェウ・ミレフスキ大使
「ポーランドと日本の国交は100年以上の歴史があります」と大使。
ゼノ修道士の写真を手に説明するドロタ・ハワサ氏
5月、初の試みとして、杉並区との協働による職員研修会が行われました。
現在、杉並区はゼロカーボンシティを目指し、気候区民会議をはじめとする施策を実施しています。この方針が光塩TSUNAGARUプロジェクトの目指すエコロジーの姿勢と重なることから、今回の研修会が実現しました。内容は三部構成で、杉並区環境課の講演に加え、阿波踊り、ゴミ拾いフィールドワークが行われました。
第一部の講演では、はじめに住宅都市・杉並区の特徴や、地域ごとの文化・特色などが語られました。環境課の温暖化対策担当課長・重田拓郎様は温暖化ガスの約半分が家庭から排出されるという区の現状を踏まえ、まずは温暖化の問題を認識することや個人の意識の変革を広める必要性を述べた上で、区の取り組みを紹介しました。太陽光発電システムへの助成制度の説明のほか、ユニークな「杉並消灯日」など33項目の意見提案を昨年提出した区の気候区民会議のような、区民参加の気候変動対策を今後はユース(中高生)世代にも実施するという展望が語られました。
「温暖化問題は、原因に責任の無い将来世代がより影響を受けてしまいます」と説明する重田拓郎課長。中高生によるワークショップは今夏の予定で、6月に参加者が募集されます。
研修会第二部は体育館へ移動。NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会の専務理事・事務局長の冨澤武幸様から阿波踊りの歴史や運営についてのご説明を伺いました。昭和32年、”何かにぎやかな催しを”と手探りで始めた阿波踊り。今や100万人近い来場者がありますが、成功の背景には多くの運営スタッフやボランティアの存在があります。たくさんの中高生も阿波踊り中のゴミ回収や、踊り手への給水ボランティアを行い、イベントを支えていることが紹介されました。講演に続き、東京天水連の方々が見事な演奏と実演を披露し、華やかな鳴り物に載せて職員たちも阿波踊りを体験しました。
高円寺の東京天水連の皆様による実演。かっこいい!
指導を受けて教員も踊りながら体育館を一周
午後の部は、NPO法人グリーンバードによる講演とゴミ拾いフィールドワーク。同団体の高円寺チームリーダー、谷村一成様は”ボランティア”の言葉にネガティブなイメージしかなかったご自身の中高生時代から、「おしゃれ・楽しい・かっこいい」ゴミ拾いを行うグリーンバードに出会い、活動に参加、学生時代から「幕末×ゴミ拾い」などいくつも斬新な企画を立て実現したという経緯を話されました。現在、各地のグリーンバードには多くの中高生スタッフがおり、小学生との環境学習や企業とのコラボ実現など、ゴミ拾いを起点とする企画や活動を行っているそうです。講演後、職員は5チームに分かれ、グリーンバードのガイドのもと、学校周辺のそれぞれのコースの清掃活動に赴きました。ゴミ拾いについ熱中してしまい、時間が超過したチームもあったようです。
グリーンバードのビブスとおしゃれな軍手、 鮮やかなトング。杉並区環境課の方も回られました。
この袋はゴミ袋。これもグリーンバードのオリジナルです。結構ゴミがありました!
研修会を通じて、地元・高円寺のさまざまな側面に触れ、中高生による地域ボランティア活動のありかたを知ることができました。研修会は、光塩TSUNAGARUプロジェクトが地域に開き、協働しながら展開してゆく貴重な一歩となりました。
光塩TSUNAGARUプロジェクト(2025~2027)についてはこちら
4月23日、ルルド・ヒル・カレッジのGleeson校長先生と留学担当のCooney先生が来校されました。この学校は、ブリスベン(オーストラリア)にあり、毎夏、短期研修とターム留学で多くの光塩生が訪れているカトリックの女子校です。ご来訪を聞いて、昨年お世話になった生徒たちや今年訪問する生徒たちが集まり、先生方を囲んで楽しいひとときを過ごしました。
その後、先生方はこの夏にターム留学を予定している生徒たちと、一人ずつ時間をとって面接をされました。生徒たちは、疑問や不安が解消されて、留学がますます楽しみになったようです。
先生方のご来訪で、ルルド・ヒル・カレッジと光塩との交流が深まる一日となりました。
Gleeson先生とCooney先生を囲んで
中1・中2の教室で、生徒たちと歓談される先生方
左から、Cooney先生、烏田校長先生、Gleeson校長先生、齋地教頭先生、英語科の小林先生
全体練習で立ち位置を確認
今年度の特別講座の一つ「英語でドラマづくり~「アリス」の世界に親しもう~」に参加した生徒たちの発表が間近に迫りました。
この講座は、津田塾大学の吉田真理子先生と石川めぐみ先生のご指導の下ドラマ(劇)を作ってみようという内容で、今回は『子供部屋のアリス(THE NURSERY “ALICE” )』(ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』を子供への語り聞かせの形に書き直したもの)が題材です。
授業は5月から始まり週1回(年16回)行われました。参加した生徒は、最初こそ緊張している様子でしたが、全身で表現しながらの自己紹介などでしだいに仲良くなっていきました。授業では先生方の熱のこもったご指導を受け、学部生・大学院生にも助けてもらいながら題材への理解を深め、直前の授業では各Actの動きやせりふを丁寧に確認しながら劇に磨きをかけていました。
【 発表会に向けての生徒の意気込み 】
Tさん(中3):私がこの講座に参加した理由は英語劇に興味を持ったからです。この講座でアリスの世界を感じることができたので、本番ではお客様にこの世界観をお伝えできればと思います。
Nさん(中3):原作ではテーブルやドアなどにはセリフがないのですが、今回の劇では登場するモノたちにもセリフがあり、それがアリスの世界の魅力をより盛り立ててくれていると思います。自分もその世界に溶け込めるよう、精一杯がんばりたいと思います。
Kさん(中1):今まで1年間みんなで一生懸命頑張って練習してきました。本番で緊張してセリフが飛んだりしてしまうと思いますが何とか良い作品になるように頑張ります。
Act2一同(中1):今まで1年間、みんなで練習をつんできました。一から英語のドラマを作るのは難しそうだと思いましたが、毎週みんなで意見を出し合い無事に作り上げることができました。緊張していますががんばります。
他の生徒も意欲的に楽しく取り組んでおり、本番が楽しみです。
特別講座「国際NPOせいぼ」今回のゲストスピーカーはギフティッド国際教育研究センター代表の石川大貴先生。配られた資料には「Neurodiversity」の文字がありました。
ニューロダイバシティとは、脳の機能や発達の多様性を肯定的にとらえる考え方・運動のことだそうです。石川先生は、“発達障害”と言われる特性を“発達多様性”ととらえ、その特性を“才能(ギフティッド)”として育てる活動をしています。
「活動では、共有体験が大切です。海外の教育機関と連携し、発達の特性があるカナダと日本の若者が一緒に八ヶ岳や富士山に登ったり、キャンプをしたりするプログラムを行いました。2年前から宇宙教育も始めています。」と石川先生。多摩川の河川敷に据えられたロケットが発射される動画が紹介されました。この、ペットボトルを使った水ロケットの作成と発射も、宇宙を体験するプログラムの一つです。
「では、宇宙開発の技術と、国際貢献との関係は?」と先生は質問しました。ヒントは色分けされた世界地図。狂犬病の死者数を示したものです。私たちが支援しているマラウイは、年間500人の死者が出ており、犬の予防接種率を上げてWHOの目標である70%を目指すことになりました。
ここで、人工衛星による地理情報システムを使ったデータ解析が登場します。飼い主が足を運べるよう、予防接種会場をどんな間隔で設置すれば良いか…答えは812メートル以内。効率的に設置された会場のおかげで戸別訪問による接種はいらなくなり、コストが大幅に下がって2018年には目標の70%が達成されたそうです。
今回は、コーヒーの生産地として知ったマラウイが、狂犬病を克服していった過程とそれを支えた技術を知る機会となりました。授業が終わったあとも石川先生に質問する生徒の姿が見られ、関心の高さが伺えました。
特別講座「国際NPOせいぼ」前回の記事はこちら
石川大貴先生。不登校支援、ひきこもり支援もされているそうです。
前編に続き、高二 漱石文集の一部を紹介します。
・私も、相手を的確に理解し、相応な態度をとったか、思い返して後悔することがある。しかし、後で振り返ると、後悔や不安を感じる過去があったから今の関係性が築けているように思う。人間関係は不透明だからこそ、互いに受容しあい、歩み寄る努力をする。これから先、人間関係に悩むこともあるだろうが、他者との関係性を客観的に見つめ、相手を理解し尊重しようとする主体的な心を忘れずにいたい。
・相手の良し悪しを、自身の主観で判断することから逃れられないのであれば、最終的に自分の裁量を信じるしかないように私は考える。そもそも、「私とは何か」という問いに答えること自体が難しいことであるのに、どうして他者を完璧に理解することができるだろうか。相手に寄り添うには、只管相手と会話し、自身が感じたことや捉えたことを覚悟して信じるしかないのである。
・漱石の身辺雑記や思索が生き生きと綴られた『硝子戸の中』を、最後まで自分の考察と共に読破したことを、誇りに思う。この作品を通して漱石という作家に出会えたことは、私の中の自信の大きな軸となり、同時に私の人生においての価値ある経験となった。
・近年、「居場所」という言葉が、現代社会を取り巻く多様な問題の中で頻繁に用いられるようになった。とりわけ、悲惨な事件の背景として、居場所のなさが指摘される。こうした居場所のなさは、個人主義の加速による社会的紐帯の希薄化が一側面としてあると思う。自分の存在意義を疑って不安に襲われることもある現代人に対して、漱石は、彼の母が示したような無条件の赦しを示してくれるのではないだろうか。
・この先、 私はどうなるのだろう。より深い絶望と対峙し、傷付けられるかもしれない。 しかし、私は時と共に強く生きていこう。 苦悩の先で、私はその絶望をも 「微笑」することができるかもしれない。Time tames the strongest grief.
・『硝子戸の中』 を通して感じられた、漱石の生に対する嫌悪のかげに確かに漱石を受容する生があったのだと暗示したこの章は、 漱石だけでなく私たち読者をも救済する。 努力による自己救済を基軸とするこの社会の中で触れた無条件の赦しは、忘れがたい温かみを持っていた。
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