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中等科・高等科校長 烏田 信二
2025 年度 2 学期始業式
皆さん、おはようございます。
今日からいよいよ2学期が始まります。皆さんは、夏休みも充実した日々を過ごされたことと思います。
7月19日(土)には戦禍の中にあるウクライナの方々のために、有志の数名が暑い中、時間を見つけて、JR高円寺駅前での街頭募金呼びかけに参加しました。高円寺の地元の方と共に協力して活動できたことをとても嬉しく思っています。
7月末には、長野県上田市の光塩山荘で中1と高1の林間学校を実施できました。山荘にて自然に親しみ、お互いの交流を深め成長して行く皆さんの姿を目の当たりにしたこと、満天の星を眺め皆さんと感動を分かち合えたこと、私にとっても思い出に残る時間となりました。
また、8月8日から11日間、オーストラリア短期研修を実施できました。29名の方がオーストラリアのブリスベンで多くの良い出会いに恵まれ、実りある時間を過ごして無事に帰ってきたことも喜ばしいことです。8月23日・24日には高円寺阿波おどりに数名の方がボランティアとして、あるいは踊り手として参加し活躍していたことも喜ばしいことでした。私は23日(土)に観に行きましたが、同様に観に来ていた光塩生が声をかけてくださったことも嬉しかったです。7月も8月も補習に自習室での学習、部活動が活発に行われていました。文化部は次の公演に向けて新しい要素も取り入れながら計画的に練習と準備を進め、運動部は関東地区カトリック校女子球技大会や第9支部大会、杉並区の大会などへの出場に向けて練習を積み重ね、それぞれ得るものがあったことと思います。その他、夏休み中には、3号館のお手洗いの改修工事および3号館の無線LAN回線敷設工事が行われました。さらに初等科の仮設校舎も完成しました。よって2学期から初等科生は、仮設校舎での学院生活がスタートします。同じ光塩ファミリーとして協力し見守って参りましょう。
さて、2学期を始めるにあたり、もう一度今年度の目標である「社会とのかかわりの中で歩む」について思い起こしてみましょう。1学期終業式では、社会問題の中で平和について考えました。今年、日本は戦後80周年を迎えています。この夏にも様々な平和を祈る集いが行われていました。従って、この度もこの「平和」について別の角度から改めて考えてみたいと思います。
知り合いのパウロ女子修道会のシスターが先日、『世界中から集めた深い知恵の話100』(マーガレット・シルフ編・中村妙子訳・女子パウロ会)をプレゼントしてくださいました。この本の中には、きっと皆さんもよくご存知のオー・ヘンリーによる「賢者の贈り物」やオスカー・ワイルドによる「幸福な王子」などの有名なお話も収められています。これらのお話の中で、この度、特に私の心に残ったのは、インドのお話で『猛犬』というものでした。次に引用します。
「あるところにごくふつうの子犬がいました。とくに獰猛ではありませんでしたが、とくに臆病でもありませんでした。ある日、この子犬は近くの遊園地に行きました。歩いているうちに鏡の館という建物の中に迷いこみました。
子犬はまわりを見まわして、何百匹もの犬が自分を見つめているのに気づきました。そんなふうにたくさんの犬にかこまれているのに気づいて、子犬はこわくなって吠えはじめ、歯をむきだしました。するとどうでしょう、まわりの犬がいっせいに吠え、歯をむきだしたのです。見たこともない猛犬たちが敵意もあらわに、まわりを取りかこんでいるのでした。子犬は狂ったようにますます吠えました。ますます歯をむきだしました。まわりの犬に噛みつこうとしましたが、こっちが近づくと、先方も近づいて噛みつこうとする様子です。
こういうことが一日中、一晩中、つづいたかもしれません。でも子犬の持ち主がいなくなった子犬を探しにきたのです。飼い主の姿を見たとき、自分を呼ぶ、その声を聞いたとき、子犬はせっせとしっぽを振りはじめ、うれしくてたまらずに跳びはねました。
するとどうでしょう、ほかの犬もいっせいに跳びはねはじめたのです。子犬は飼い主といっしょに家を指して歩きだしながら、ひろい、大きな世界ははじめ思ったほど、恐ろしいところではないのかもしれないと考えたのでした。」
いかがでしょうか。このようなことは私たちの日常生活の中でもよくあることのように私は思いました。誰かに傷つくことを言われて落ち込んでいる時、世界中のみんなに言われているような錯覚に陥ることがあるかもしれません。親しい仲の良い人と気まずくなって冷たい態度をとられた時、周りの人みんなが自分に対して冷たくしているような気がしてくるかもしれません。いつもいつも自分はこんなに辛い思いをしている・・・。そう思ってしまいます。そうすると、怖くてたまらなくなり、自分を守るために歯をむき出しにして怒らなければならなくなるかもしれません。怒りだすと、周りの人にもその怒りが伝わっていって、怒りを返されるか距離を置かれるかして、ますます孤独を感じ、苦しくなります。まさに負のループに陥ります。
しかし、このお話の中に出てくる飼い主のように、愛情をこめて名前を呼んでくれる人が現れたら世界は全く変わります。とても明るくて、とても安心できる世界になっていきます。
このお話を今、「自分が子犬の立場だったら」という仮定で考えていますが、子犬の立場でこのお話の解釈をもう少し進めると、周りの鏡に映っている猛犬は自分自身であり、周りにいる人でもあることに思い至ります。私たちは怖いものは外から来ると思いがちですが、実は自分の心の中にあって、それが周りの人たちの姿に反映されていることが多々あるのです。自分がこの子犬の立場にある場合は、恐怖に支配されないということが大切になってきます。これを個人の問題ではなく国家間の問題として考えると、「危ない!危険!攻撃されるかもしれない!」という恐怖から始まって自分たちの身を守るために相手に歯をむき出していくことで戦争が始まると言えます。
また、周りにある鏡を自分の姿勢に見立ててこのお話を考えることもできます。怒っている人には怒って、優しく親切にしてくれる人には親切にする。また、怒っている人や嫌いな人には自分を守るためになるべく関わらないようにしますし、接していて心地の良い人とは一緒にいるようにすると思います。それが私たちの自然な行動だと言えるでしょう。これは自分自身が鏡の立場になっている状況です。しかし、これは自然なようでいて不自然です。恐怖で苦しんでいる人をそのまま放置してしまいます。言い換えると、見殺しにしてしまいます。今、日本は戦禍にありませんが、戦禍にある国、地域に対して私たちはこのような立場をとってしまっているように思えてなりません。戦禍にない日本の日常生活、私たちの学院生活においても寂しそうにしている人に勇気がなくて声かけもできずにいるかもしれません。
最後に、飼い主に注目してみましょう。長い時間、見失った可愛い子犬を探しています。見つけた時、とても喜んで声を弾ませて目に涙をためてその名前を呼びます。その愛情あふれる声と想いを受けた子犬は嬉しくてたまらず、飛び跳ねてしまいます。この時、飼い主はまさに神さまのような存在です。言うまでもなく、私たち一人ひとりがこのような存在になれれば、世界は明るく平和になっていくでしょう。まずは始めましょう。身近なところでちょっとした優しい声かけを。
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